| 1958 | |||||
|
幻のタッチダウン対日本大学
米本 満(昭和三十四年卒) 電話を置き三十四年前を思い起こすと、光陰矢のごとしそのままに、楽しかった。決して忘れる事など無かったは ずの青春時代が忘却の彼方にあることを再認識し、書棚の奥から古いアルバムを取り出し、思い出をたどりながら 筆をとった次第です。 私が在学した昭和三十年から昭和三十四年の間我がアメリカンフットボール部は、関東八大 学(日大、明大、立大、慶大、法大、早大、防大、学習大)リーグに属していました。我が部は部員も少なく、戦績 もかんばしくなく、在部中に勝利の女神は一度も微笑んでくれなかったように記憶しております。 昭和三十三年、小生四年生の夏の合宿は、我が郷里山形市で行いました。奥羽本線で十余時間かかって到着した面々を出迎えた山 形では、アメリカンフットボールという競技を知る人も少なく、練習場に向かう選手達の防具をつけた異様ないで たちに皆驚き、物見高い市民は後についてきて練習を見物しておりました。今その時の写真を見てみますと参加し た部員は十六名でした。主将の水野、センターで三年の西島以下杉立(故人)、平岡、島田、内田、都築、立岩、田 中(水島)、本間、羽田野、大石、中谷、坂下、君達ではないかと思います。当時は防具も満足なものはなく、ヘル メットにはフェイスガードもついておらず、いつも顔中にアザを作っていた事が目に浮かびます。 秋の関東八大学リーグ戦は、開会、閉会の式が神宮競技場で行われ、試合は神宮競技場、早大東伏見グラウンド、日大下高井戸グ ラウンド、慶大日吉グラウンド等で行われました。強豪日大との対戦でキックオフ後のファーストワンプレーで水 野君の八十ヤード独走のタッチダウンがオフサイドによって取消されたのが思い出されます。部員数の少ない我が チームは、交代要員もままならず、一人の選手が全試合フル出場という有様でした。こんなことは今の百人からを 越す部員諸君には考えられない事かと思います。しかし、美人の応援と向かい合う気強いファイトは他のどのチー ムからも負けておりませんでした。 試合の後のコンパでは目白で飲んで盛り上がり、新宿に繰り出し我が物顔で大 騒ぎした事、また甲南大学との定期戦では、芦屋の巨人軍常宿の竹園旅館に宿泊し、大阪飛田の繁華街を意気がっ て歩いたことなどが思い出されます。 学習院大学アメリカンフットボール部今迄培ったよき伝統を守り益々繁栄を祈念しております。
| |||||