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回想記
平岡一矩(昭和36年卒) 確か、昭和32年の春の定期戦が始まっており、私がアメフット・クラブに関わったのは、法政戦の1週間位前だったと思う。 当時は、まだ関東は1部、2部も無い1リーグ8大学の時代でした。 学習院は先輩から伝え聞くところによるとクラブ創設の古さでは慶応義塾大学と肩を並べるほどなのだそうだ。 このくらいのことしか当時の学習院のアメフット・クラブが誇れるものは無かった。 実際、試合の前日になると日頃は滅多に顔を出すことの無い部員まがいの人間をマネージャーの水島が四苦八苦で動員をかけ、 フォーメーションを組み、タイミングを合わせるという有様であった。 したがって、試合に勝つための練習などは、1度足りともした憶えがないほどである。 夏の合宿といえば、成城と1回、法政と2回、慶応と1回という具合で、自主合宿ではフォーメーションが組めないので、 合同合宿の形をとらざるを得なかった。 しかし、こんな中でも、私自身が練習を休まず続けてこられたのは、入部の主たる目的が自分を鍛え直すことにあったからだと思う。 そして、マネージャーの水島が1年生の頃から時には道具をつけ、ジャージを着て、練習に加わるといった姿は私にとって、 大変な励みと勇気を与えてくれるものであった。 彼は、あの時すでに「克己」という信条を持っていることを私が4年生の時、主将に任ぜられ彼と1日、 今年はどんなクラブ運営をしていくかを話し合った折に、この言葉に触れ「やっぱりこの男は違うな」と感じたものである。 アメフットが好きであるというエネルギーで先輩で私の知る限りでは、須恵さんと西島さんが双肩である。 須恵さんは当時でも後輩を怒鳴って、怒鳴りまくる迫力を持っていた。 西島さんは、試合中に足の骨折を2度までも経験しながらフットボール好きはその度に並々盛んになるといった感じさえした。 また、弱いチームながらアンバランスTというフォーメーションで日大の第一黄金期を築く原動力になっていた織戸選手にも勝る とも劣らない素材を持ったプレーヤーもいた。 同期にフルバックをやっていた藤田。この男は高校時代100mを12秒台で走る足を持ち、陸上選手で活躍しただけあって オフェンス時における彼のオフ・タックルを担うプレーは見事であった。 しかし、彼の真骨頂はディフェンスのバックスとしてのものである。そのすごさは、今でも脳裏に焼き付いて離れない。 彼のタックルのタイミングとスピードと当たりの強さは超一流のものであった。 練習時においても彼の見せるタックルの迫力は今でも忘れることの出来ないものである。 まっすぐに走らせたなら必ず3ヤード出るという得意技を持っていた右ハーフ・バックスの島崎という男もいた。 彼のハンドオフは、当時、法政のスター・プレイヤー白鳥選手を彷彿とさせるものであり、私はライト・ガードかセンター というせいもあって、彼のナイス・ゴ−イングを何度も見た。 1年先輩に立岩さんがいたが、彼はディフェンスの時間が長い学習院にあって、ディフェンス・タックルとして大活躍した。 スクリメージ・ラインの中に割って入ってヤード・ロスさせるタックルの冴えは彼の独壇場のものであった。 すでに数年前、故人になった杉立は、1年生からQBをやり、ショート・パス13という今で言うショットガン・プレーを 得意技としていた。 私が2年生の折、まだ1部リーグの時代で秋の公式リーグ戦の第1戦は、最強赤ヘル軍団の日大であった。 場所は国立競技場、キックオフは確か午後4時30分、後半はナイターの照明を浴びての試合だった。 スコアは今では考えられないと思うが100点台の大差で負けた。そんな試合でも、ショートパス13はゲインしたのだ。 4年生になった時、同級生が一番多いメンバー構成という中で、就職活動で浮き足立った状態に置かれながら、 最後まで私共々練習を熱心にやってくれたのは副将の大石であった。 昨春、現役の勇姿に触れるべく大阪の長居競技場に出向き、甲南戦を感動をもって観戦した。後日、水島から連絡をもらい、 今では運動部の中では野球部を凌いで最大の部員を擁する運動部になっていると聞いて隔世の感を深くすると共に、 本当に嬉しく感じたものです。 後輩には島田、中谷、松永、岡田、目黒、杉立(弟)、などの顔が浮かぶ。彼らは皆練習によくついて来てくれたように思う。 ただ最近、残念に思うことは京大の水野監督の話を聞いたり、彼が寄稿する新聞のコラムを読んだりして思うことは、 当時の学習院のアメフット部には本当にポリシーというものが無かったように思うことである。 そんな部風の中でも、貴重な教訓を学ばせてもらった。 あれは昭和34年のシーズンであった。私が3年生の時、竹本さんというハワイ出身のフットボール・コーチを迎えて 半年くらい指導を受けた。その時教えて頂いたことで、今でも忘れていないことがある。
1つは、スタート・ダッシュの大切さを強調され、最初の一歩の歩幅を小さく取ることがコツであることに気付かされたこと。
要するに、技術というのはコンセプトが中心であるということを学んだことは、実業の世界に入って大いに役に立った。
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