| 1963 | |||||
|
秋期リーグ戦初勝利
菊池 正臣 (昭和三十九年) 入部以来、どんなに苦しい練習や合宿に耐えて、全力を尽くして試合に臨んで も得られなかった勝利。(二年生のときに東経大とは惜しくも引き分け試合を経 験しているが)四年間の部生活に於いて、残りの一試合を残すだけで得た勝利は 格別の感があった。対戦相手は青山学院大学である。場所は国立競技場で行われ る予定が雨で変更され、我が学習院大学北グラウンドでキックオフとなった。こ れも幸運の女神が舞い下りたのか、学習院大学の勝利となるとは、何と幸運なこ とであったろうか。 試合当日は、朝から小雨が降り、グラウンドはぬかるみ、我々の前に防衛大― 東経大の試合が行われた為に最悪のグラウンドコンディションとなっていた。当 然雨中のゲーム故にパスプレイは使いづらく、ランプレイ主体とならざるを得な い。これがオフェンス力では少人数ながら他校とはそれ程差がないが、ディフェ ンス力、特にパスディフェンスに於いてやや難があった学習院には幸いしたと思 われる。第四クォーターまでは、お互い決め手が無く一進一退、タイムアップ五 〜六分前に自陣二十ヤード近くまで攻め込まれたが、なんとか持ちこたえてファ ーストダウンとなった。ここでクォーターバック杉立がTフォーメーションより レフトハーフ・エース目黒のハンドオフ左オフタックルプレーを決断、これが成 功、目黒の八十ヤード近い独走によりタッチダウン。トライフォーポイントを決 め八―〇とした。もう後はこれを守りきるだけと選手全員死力をふりしぼり、必 死の攻防で青山学院に得点を許さずタイムアップとなった。四年間のつらくて苦 しい練習、少人数故の他校にすがっての合同合宿、合宿に於ける他大学付属の高 校生チームとの練習をよぎなくされた屈辱的な想い等々が、この勝利により全て が遠い過去のものとなり洗い流された。アメリカンフットボールをやってよかっ たと、この時程感じたことはなかった。この勝利が一つのきっかけとなったのか どうかはわからないが、必ず勝利をおさめ、全敗はなくなったはずである。小生 を含めて当時の部員全員、このことは誇りに感じてもいいはずである。これは諸 先輩の方々がこれまでに築いてこられた戦いの歴史が十二分に裏づけされたもの であることはいうまでもない。 当時リーグに加盟している大学はわずか十三大学しかなく、防具も米軍払下げ の中古で、修理しても完全な防具とはならず、又フォーメーション自体も現在の ような多様なフォーメーションもなく、確かな理論に裏づけられた練習方法など が確立されていなかったので、諸先輩の方々は大変な苦労をされたと思う。そう いう中で自分たちに適した方法を、創部以来の諸先輩方々が少しずつ模索しなが ら工夫を加えられた、我々後輩に対しての指導とか練習方法や試合運びがあっ た。これらの努力の全てが丁度花開いたのが我々の時であり、リーグ戦での勝利 につながったのはいうまでもないと確信している。 入部すると酒と女には不自由しないと言われて(これで入部したわけではない が少々不純な動機があったやも)入部したこと。一年生の合宿では疲れて食事が 食べられず、眠れず夜逃げしたくなったこと。初めての試合が国立競技場でのナ イター戦(リーグ戦)。二年生と四年生時における甲南戦の関西遠征。人数不足で マネージャーまで借り出しての試合。合宿で水を飲みすぎて腸カタルとなり隔離 されたこと。納会では音痴故に必ず歌の指名がかかったこと等々。この原稿を書 いていると走馬灯の様に三十年程前の部生活が頭に浮かんでくるが、最初に想い 出すのは、私の部生活の集大成である初勝利に尽きる。 つたない拙文ではあるが、当時の諸君がこれを見て感激を新たにしてもらえれ ば大変嬉しく思います。
| |||||