1967
怪我

高橋基陽(昭和43年卒)

 どんなスポーツにも、怪我はつき物です。そして、アメリカンフットボールが 一番危険なスポーツといわれています。しかし、この時ほど我々のチームを不運 のどん底に落としたものはなかったでしょう。 前年秋のリーグ戦で、惜しくも優勝を逃しました。今年こそはの意気に燃え、三 月からの春期シーズンをスタートしました。チームの人数は約二十名。四年生は 三名と少なかったが三年生、二年生が戦力的に充実していました。さらに、前の シーズンと比較して、体力的にも、技術的にも他校と見劣りすることはないとチ ームが思っていました。この戦力をさらにアップさせるためにも、つずく合宿が 期待されました。
 三月下旬に行われた沼津での春合宿は、あの長島巨人軍が最下位の後に行った春 の伊東キャンプに匹敵するくらい(?)の中身が濃く充実したものでした。朝お きてから夜寝るまで、一日中フットボール漬けでした。監督も、選手もひとつの 目標に向かって邁進する団結心がありました。基礎体力作りと、それをベースに したチームプレイにも張り詰めたものがありました。
 当時の基本フォーメーションは、Tフォーメーション。得意な、スナップバッ ク後、すぐにHBがオープンに走り、QBがロングラトラル。オンサイドのTがプル アウトしてリードブロッカーになるプレーでした。タイミングがいいとロングゲ インにつながり、さらには、タッチダウンの獲得にもつながりました。他校には ない、スピードあるオープンへの展開のプレーでしたもうひとつ、QBがFBにワン フェイクした後、HBにハンドオフし、オフタックルをつくランプレーにも破壊力 がありました。それぞれ、単純で基本的なプレーですが、バックスの脚力と、ラ インの力強さが組み合わさった得点力ある戦法でした。
 チームにとって満足できる合宿を過ごし東京に戻りました。春季オープン戦の 日程が組まれ、ゴールデンウィークに行われる甲南大との定期戦が春の目標にな りました。戦力の充実にともないオープン戦の開始にダブルヘッダーが組まれま した。選ばれた相手校は、前年の戦績からすれば同格ないし格下と考えられる学 校でした。
 ポイントゲッターはHBの安岡(四年)。ラインメンの中心は高瀬(四年)と長 谷川(三年)でした。ランプレー、パスプレーのコンビネーションは完璧に仕上 がってました。しかし、試合開始早々、ランプレーで安岡が相手タックルを受 け、足首を骨折。さらに試合が進んで、Tの長谷川も密集の中で、同じく大腿部 を骨折してしまいました。攻守、チームの要の二人がリタイア。その後、ポジシ ョンの組み直しを図りましたが、その穴を埋めることはできません。ついに、一 年間チームの立て直しを図ることはできず、残念なシーズンを過ごすことになり ました。
 以上、当時部員が少なく、大部分のスターティングメンバーが、オフェンスもデ ィフェンスもこなし、フルゲームでプレーをしていました。従って、チームの中 心選手の怪我、故障が一年間の戦いに大きな影響を与えてしまったのです。現在 のような、多人数で、役割が分担されているようなチーム作りができる最近は、 なんともうらやましい限りです。

監督 須恵 厚
部長 斎藤 滋雄
昭和四十二年度卒業部員
主将 高橋 基陽
部員 安岡 賢二
   高橋 孝