1968
故金沢先生と甲南戦初勝利の思い出

鈴木憲作(昭和44年卒)

 昭和43年のシーズンを語るにはどうしても西洋史の故金沢部長先生の 「熱い心情」を書き留めておきたく筆を取りました。今でも現役選手諸 君はその年の目標を春の「甲南戦」と、秋の「リーグ戦」と定めて日頃 努力をされていることでしょうが、昭和43年当時とて、その目標は現 在と同じであり、いやそれ以上であったかも知れません。何故なら対甲 南戦は学習院大学の全ての運動部にとって大目標でありその部ごとの成 績は総合ポイントに組み込まれて彼我の名誉を競う伝統的な対抗戦であ るからです。そして前年の試合は14対44で敗れ、15連敗という記 録を続けていた我々でありました。先輩たちも当然のことながらベスト ゲームをしたに違いありませんが、関西の雄「甲南大」の壁は厚くて、 敗戦が続いていた訳です。
 当時、須恵監督、立岩コーチの指導のもと打 倒甲南を目指して猛練習を続けていた我々の熱意が、金沢先生の御心を とらえたのでしょうか、部長就任を心よくお引き受けくださいました。 それから5月4日の対戦(駒沢補助競技場)までの毎日を金沢先生は北 グランドに来ていただき暖かくてしかもガッツにあふれる激励を続けて 下さいました。「君たちは勝ちます。必ず勝てます」とソフトな、いか にも大学教授という風な金沢先生の中にこんなにも強烈なお気持ちがあ ったのかと、当時の4年生が驚いたくらいでした。
 前夜の雨も上がり、5月晴れの駒沢グランドで第16回定期戦はキック オフされました。試合の事は詳しく記憶していないのです。(第2クォ ーターでの脳震盪のままプレーを続けていてからか。)記録を見ますと 前半戦は学習院大学リード。後半は甲南大学の猛追撃を受けています。 多分、第4クォーターでしょうが、センターの日名子に「俺達、勝って いるのか?」と聞いて、「トラポン差で勝ってる、オイ大丈夫か?」と いうやり取りは鮮明に残っています。サイドラインで熱く応援されてい た金沢先生は相当に心配したり、喜んだりとお忙しい事だったろうと回 想しております。幸いにして初勝利を記録しました。20対18でした。
 この年はその後、夏合宿、秋リーグ戦と過ごしましたが、残念ながら春 シーズン程の成果が挙がりませんでした。しかし、「甲南戦初勝利」と、 金沢先生のご尽力で、秋の「運動部常任委員会、臨時総会」にて部昇格 が決定しました。昭和43年11月29日のことでした。須恵監督、立 岩コーチと連れ立って目黒にある金沢先生のご自宅へご報告に伺いまし た。この時の金沢先生のお喜びの顔は20年後の今も忘れられません。
祈るご冥福。最後になりましたが、当時の4年生のポジションを記して 筆を置きます。
梶  利夫 ガード
仲池 漱祐 ハーフバック
日名子 光 センター
中野 憲芳 クォーターバック
長谷川龍一 タックル
鈴木 憲作 ハーフバック

1968
常識とフットボール綱領

特別寄稿 梶 利夫(昭和44年卒)

須恵先輩から40年史の原稿が大分集まってきたから目を通してくれないかとお声が掛かり、先輩諸兄や後輩諸君の文章を読んでいるうちに、現役時代からタイムスリップしたかのごとく次から次に思い起こされ、矢も盾もたまらない気持ちになり、ここに文章を寄せるしだいです。 私がアメリカンフットボール部に入部したきっかけは、入学した年の夏休みに「入学以降出席日数ゼロですが、他大学に入学されているのですか」という問い合わせが大学事務局より我が家にあり、「これからの我が人生どうするべきか」マァ取り敢えず目白に行ってみるかという事で、夏の暑い盛り事務局に顔を出した。 その帰り北グランドの横をふらふらと歩いていると、練習を終え汗まみれの爽やかな笑顔で予備校仲間だった長谷川が、「ヨォー久しぶり、お前こんなとこで何やってんだ」「イヤァ、俺、学習院に入学してるんだけど1度も学校に顔を出してないんだ、実はどうしようかと迷っているんだよ・・・・・・」「アメラグに入部すれば学校に足が向くぜ・・・・・・」というわけで、私はその年の9月から入部。アメリカンフットボールのルールも何も知らず入部して僅か1〜2週間後の秋のリーグ戦にデビュー。鼻っ柱の強さだけで、アメラグってのは取り敢えずルールのあるグランドの中での喧嘩だなと、身勝手な早合点をして時の監督・諸先輩・同輩にたいして傍若無人な振る舞い、そして常識の欠落から迷惑を掛けた後輩諸君(特に昭和51年度卒業の諸君)に対して、この記念史をおかりして自戒を込めてあらためてお詫び申し上げます。 鈴木憲作よ、何時までもグチャグチャと"お前は1年のあのきつい春・夏合宿をスキップしやがって"と言うなよ! 詫びついでに、コーヒー1杯の勘定で目一杯食事させてくれた「田中屋」。目茶苦茶な宴会にも快く会場を提供してくれた「やぶ重」。ジャン荘「いこい」。キッチン「宮本」etc・・・・・・。本当にお世話になりました。いや、ご迷惑をお掛けしました。 そして、我々の世代で忘れられないし、決して忘れてはならない大恩ある人。何時も部屋代わりのように出入りし、ご迷惑を掛けたにも拘らず厭な顔ひとつせず、その卓越した治療で我々の身体を側面からサポートしてくださった上、我が師同然に食事の面倒まで見てくださった今は亡き接骨医の福島先生。 走馬灯のように懐かしい思い出がめぐりめぐってきます。 今は幻となった第1回対甲南大OB戦。 試合前日の深夜、赤坂のクラブ「ダンダン」に集まり、真夜中の東名高速を突っ走り無事敵地神戸に到着。睡眠不足にもめげず、意地と根性で快勝。 殆どタッチダウンの経験のないラインメンをボールキャリアーにしたり、甲南にも少しは華をもたせなければとか、現役時代には1度も経験できなかったエンジョイフットボールで勝利を味わったことも懐かしい思い出です。 現役時代対戦校によっては、100点以上の大差で勝利しなければ地獄の特訓なんてこともありました。 甲南OBフルバックの三原先輩のパワーは流石でした。 高橋誠一君の活躍が一際印象に残っています。このOB戦に向けて現役時代から力を温存していたのではないかと吃驚するほどの活躍でした。 以上私のアメリカンフットボールキャリアはこんなものしかありません。 私の過去も顧みず僭越ですが、OB諸兄、学生諸君、そして特に寸暇をさいて学生の指導にあたられている方がたに、もう1度思い起こしてもらいたいことばがあります。 それは「常識」(が規則)と、私の人生半ばに縁あって出会ったスポーツでありながら、はからずも今この時期になって初めて知った、「フットボール綱領」です。拙文の後に辞書と、公式規則から引用して記しておきますので、今一度お読みいただけたらと思います。 OBが1枚岩の団結を誇れるようになるとともに、学生諸君が強い勝利へのひたむきさをもって切磋琢磨して頂ければ甲子園ボウルも手の届く処にあると私は確信しております。 創部40年は歴史の通過点です。今世紀中に学生日本一の座を目指して下さい。現役学生諸君の益々の活躍とOB諸兄のご健勝を心より祈念致します。 【常識】(COMMON SENCE)    普通一般の人が共通して持ち、または持っていなければならないと考えられる知識・道徳・意見または理解力・判断力。専門的知識や理解に対する語。                                 (三省堂―広辞林)    世の常に通じたる道理を、?へて知り居ること。                                 (富山房―大言海)    普通、一般人が持ち、また、持っているべき標準知力。専門知識でない一般知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。                                (岩波書店―広辞苑)  【フットボール綱領】(THE FOOTBALL CODE)    伝統的に、フットボールは学生のゲームであり、学校教育の重要な一環を担っている。それゆえ、プレーヤー、コーチ、その他の試合関係者に対しては、最高のスポーツマン・シップと行動が要求される。    フットボールは激しく、力に満ちた、体をぶつけあうスポーツであり、またそうでなければならない。それゆえ試合では、不正な戦術、スポーツマンらしくない行為、故意に相手を傷つけることは絶対に許されない。 競技規則委員会は、規則と適切な罰則によって、すべての不必要な乱暴な行為、不正な戦術、スポーツマンらしくない行為がなくなるように、長年、努力してきた。 しかしこの規則のみでは、この目標は達成しえない。コーチ、プレーヤ−、審判員、およびすべての試合関係者の絶えざる最善の努力のみが、このスポーツの高水準の倫理を維持し、人々の期待に沿いうるものである。それゆえ、コーチ、プレーヤー、審判員、その他の試合の興隆に責任を有するものに対する指針として、委員会は次の綱領を揚げる。 綱領の項目は【コーチの倫理】【手や腕の不正な使用】【不正なシフト】【負傷を装うこと】【相手と話すこと】【審判員に話しかけること】【スポーツマン・シップ】 の6項目に規定されている。 なお詳細は日本アメリカンフットボール協会発行の92年版アメリカンフットボール公式規則・解説書をご一読ください。
1968
雑感

部長 金澤 誠

 ふとした機縁から、アメリカン・フットボールの部長に推されて、はや15年が経過しました。ふとした機縁とは、部を創立した内山君との私的関係であり、15年前に熱心に選手の養成に当たっていた須恵・立岩・入江・久保田君らとの同じく私的関係による。ある日、石上学生部長(故人)から、「アメリカン・フットボール部の部長になってもらいたい」と懇請を受けたのを、昨日のできごとのように思い出します。  石上教授はそのとき「アメリカン・フットボールを大学の正式の部とすることに、先輩から何度も要請きている。しかし一方では他の運動部に反対も多い。自分としては従来の実績から、そろそろ正式の部に昇格させても良いと思っている。幸い先輩諸氏から貴君に部長になってもらいたいと言う申し出がある。この際諒承していただきたい。おそらく部への昇格も解決するだろう」と話された。  初めて部の選手諸君に紹介され、余りに少数なのに私は驚いた。部員の少ないのも、確かに部に昇格するためには障礙であったに違いない。しかし少数の部員で、少数なるが故に、最後まで掛け替えがなく、全員で敢闘する姿に私は感動した。何度も勝たしてやりたいと、試合のたびに思ったわけである。しかし勝つためには、やはり精神的・物質的に有利な条件を設営することが肝要である。そのためには従来のクラブから部へ昇格することが1番だ、とようやく私にも呑みこめてきた。  須恵君の熱意に促されて、私も大学の運動部委員に何度か働きかけてみた。そのうち、意外にすらりと部への昇格が決定された。おそらく、大学紛争の渦中で運動部委員会じたいがフットボール部の存在を無視できなくなった結果に相違ない。それでもよかった、と私は思っている。