| 1975 | |||||
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関東選手権に初出場
栗山 和三(昭和五十一年卒) フォーメイションが何だったかはよく分からないが、ヘルメットがぶつかりあった時の感触だけははっきりと残っている。 それと試合でホイッスルが鳴った瞬間から発狂していたことはすぐ思い出せる。スポーツでは冷静さも必要だろうが そんなことは関係なしに、毎回頭に血を登らせて「このやろう殺してやる」。そんな感じでやっていた。 戦績ははっきり覚えていないが、甲南戦は勝ち、リーグ戦は、さつきリーグで二位だった。七勝一敗か六勝二敗か よくわからないが青山学院大学には負けた。当時としては、体に恵まれた連中がそろっており、世良、中村は体重100キロを越し、 笹野、糟屋は180センチで90キロ近い体をしていた。クウォーターバックに漆原、フルバックに松田がいた。オフェンスは、 パワーI、ディフェンスは4・4を使っていた。その年は、初戦から調子が良く、確か初戦は明治学院だと思うが、 松田のオフタックル、何というプレイかは忘れたが、それが良く決まり初戦を勝ったことで波に乗れたように思う。 現在のようにツープラトン制は無く、皆ほとんど出ずっぱりだった。青山にはどう負けたかはよく覚えていないが、 点差は一本か二本差だと思う。リーグ二位となり、当時あった「関東選手権」に臨み、日大と当った。当日は朝から大雨で、 駒沢第二が使用できない為日大のグランドで試合を行った。そのグランドは砂地同然で、 ここで練習をやっていれば足腰が強くなるのも当然だと思った。結果は大雨で日大もパスが使えず、 学習院も松田が走らせてもらえず、確か三十ー〇で負けた。松田はその年、正確なスコアリングは無かったものの 相当なヤード数を獲得したはずである。 もう一つ忘れられないのは、北グランドに照明塔ができた事。二年か、三年の時だか分からないが、 あれができたおかげで日が暮れても練習が終わらずひどい目にあったことを想いだす。
監督 久保田正就
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