| 1976 | |||||
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フットボールはツープラトン
岩岡 清(昭和52年卒) 我々が四年生の時のコーチは、 末次孝一郎氏と漆原光彦氏が一年通して面倒を見て下さいました。末次さんが練習メ ニューを作成して下さり、それを基に漆原さんが北グランドで指導する方法で行なわ れた。前年大変良い実績を残したIフォーメーションに少し変更を加えたウイングT を採用し、若山君・矢野君と私でバックスを組み、QBは林君と森脇君が交替でラン プレー中心のオフェンスに移行していった。練習は長くても二時間半であったが、ほ とんど動きっぱなしで中味の濃いものだったと思う。 四年生になった時には部員数も 合計四十名程に増え、試合にも完全にフル出場する人も少なくなって来た。この頃に はニプラントを組むチームが徐々に増えてきている。 私が心掛けていたのは、一つは 前年のリーグ戦の順位を確保することは正直言って大変厳しい状況であったので少し でも上の順位を狙うことで、できる限り順位を落さないことであった。もう一つは、 伝統的にキックオフリターンを許してしまう体質があると感じていたので、折角得点 を取った直後のキックオフ時には必ずハドルを組み、気を引き締めることを実行し た。最後に、四年間で一度も勝てなかったのが青山学院大学である。四年の最終戦で 対戦したが大差で敗れた。このことだけが残念でならない。一年下の若山君・伊藤君 ・上野君・林君・加藤君をはじめ五十三年卒の人達の力添えがあって、リーグ戦三勝 することができたことを深く感謝をしたい。ありがとう。次は甲南戦について記す。 私達が一年に入学して間もない五月に、甲南大学との定期戦が西官競技場で行なわれ た。中尾さんと池内さん四年生二人を筆頭に部員が何と、十一名しかおらず、入部し たての渡辺君と私がスプリットエンドで交替で出場し、ルールも良く知らない状態 で、ただ闇雲にダウンフィールドで久次にぶつかって行けと指示通り動くだけであっ た。当然大差で敗れた(八十点差以上で)。次の第二試合が日大−関学戦で、控えて いた日大の篠竹監督がミーティングで「学習院のようになるな」という檄を飛ぱす声 や観客席の回りから「お坊っちやんのフットボールだ」と言う声が今でも耳に焼付て いる。この時の印象があまりに強烈であり、兎に角、毎年甲南戦だけはどんなことが あっても勝ちたいと思って練習に励んだ。三年生の時にはタッチダウンを一本取りパ スインターセプトも二回やり活躍できたし、四年生の時は当番校で学習院グランドで 行なわれたが、私が左のストレートハンドオフ、そして森脇君の右ダイブフェイクの QBのランニングプレイで二本のタッチダウンを奪い勝利した。在学四年間の対戦成 績は二勝二敗で終った。
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