| 1978 | |||||
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「フットボール生活を思い返して」
北 久 (昭和五十四年卒) 有能な四年生が多く抜けた後。私達は新チームを結成しリーグ優勝を目指し練習 に励んだ。新チームの四年生を紹介すると、スピードと粘こいブロックが身上の G鈴木、パスキャッチもブロックも上手なTE渡辺、パワーとスピードを兼ね備え たRB矢野、オープンを走らせたら誰も止めることのできない俊足RB峰、球際に強 くスーパーキャッチを数多く見せてくれたWR沼、練習を裏で支えてくれた有能な マネージャー泉田、そしてTに私であった。もちろん当時はツープラトン制でな く一人でオフェンスもデイフェンスもやらねばならず彼らはまた、オフェンスの みならずデイフェンスでも有能なプレイヤーであった。 当時のチームは、サイズ 的には恵まれていなかったが、その分をスピードと、テクニックでカバーしてい た。オフェンスのフォーメイションはパワーIからのダイブ、カウンター、オフ タックル、オプションが主流で、T90からはタイミングの早いスイープが主流 であった。デイフェンスは,4−4−3の変形でDTが相手のGのショルダー一 つ外にセットしていた。この体形からDTとインサイドLBがクロスしてブリッ ツをする「クロスファイヤー」、DEとのQBへのブリッツなどで変化を持たせ ていた。 新チームの滑り出しは順調であった。春の甲南大学との定期戦は、我々 の大勝であった。ラインとバックス陣のタイミングが良く、自慢のバックス陣が 中央・オープンと縦横無尽に走りまくり、TDの山を築いていった。特にT90 からのスイープで峰の俊足が遺憾なく発揮され、確か一人で六TDを奪ったと記 憶している。当時私は、オフェンス、デイフェンスそしてキッキングゲームとフ ルタイムであったので、TDの後キックオフで全力疾走しなければならずバテバ テであった。今だから言えるが、あまりにも峰がTDを取るので、峰に向かって 試合は勝てるからもうTDしないでくれ、もうキックオフ走りたくないとお願い したほどだった。また、四大学戦も記憶がかなり薄れているが全勝か一敗で乗り 切ったはずである。 春のシーズンを終え、短いシーズンオフも終わり、秋のリー グ戦に向かって夏の合宿に入った。場所は例年のごとく菅平高原である。菅平と いえども真夏である。朝夕は涼しく湿度は低いものの昼間はかなり暑かった。練 習は、午前中がブロッキングやタックリングなどの基本練習と、フルシーズン戦 えるだけの体力作りがメインで、午後はラインとバックスのタイミング合わせ と、フォーメイションのマスターを中心としたメニューであった。三・四年生は 基礎体力もあり、合宿も初めてではないので力の抜き所も心得ているし、コーチ 役も兼ねていたので、肉体的には一・ニ年に比べれば楽であったと思う。反対に 一・二年は雑用、そして練習と、肉体的にも精神的にも苦しい日の連続であった と思う。 しかし、この合宿が終わると彼らは心身ともに逞しさを増し、一人前の プレーヤになることがでるのである。私自身も四年間の合宿で一番記憶に残って いるのは、やはり一年生の時である。合宿最後の練習が終わり、誰もいなくなっ たグランドで、一年生が「合宿が終わったぞ!!」と雄叫びを上げて部旗をかざ してグランドを走り回ったことや、誰かがグランドの横の火の見やぐらに登って 大声を出して喜んだことが、今でもすぐに思い出せる。また、こんなこともあっ た。これも一年生の時であるが、練習の始まる前にダミーを宿舎からグランドま で運ばなくてはならない。早く着替えた者から自分の好きなダミーを担いで行く のであるが、ダミーの重い物軽い物、長いのや短いのまで色々ある。その日私は 着替えるのに何故か手間取り、皆より遅れてしまった。倉庫に行くと通称「馬ダ ミー」と呼ばれる一番大きくて重いのと、普通のダミーが残っていた。私はラッ キーと思い普通のダミーを担いでいこうとすると、峰が私よりも遅れてやって来 た。峰は身長一六十センチ位であるが、私は反対に一八七センチもある大男であ る。「北たのむよ」と峰が言うので私は断れず「馬ダミー」をグランドまで運ん だ。合宿は技術面、精神面の向上を計るのが目的であるが、また友情を深める場 でもあった。 合宿も終わると秋のリーグ戦に突入であるが、成績についてはあま り話したくない。出足は順調だったが怪我人続出や、就職活動で四年生が試合に 出れないこともあって三勝四敗の負け越しで終わった。特に最終戦の青山学院戦 ではチームも満足に組めない状態であった。春の甲南戦とは反対に、青山学院の RB大谷に走りまくられ、TDのやまを築かれていった。彼はパワーランナーで一発 や二発のタックルでは倒れずに、反対にかましてくるタイプであった。この試合 の結果が学習院を桜の花にたとえて「学習院散る」という見出しで大谷が悠々と オープンを走っている写真といっしょに記事になったのを見て、全身から力が抜 ける思いであった。私は卒業後松下電工インパルスで8年間プレーした。全国の トップレベルの選手とも戦ったが、RB峰、矢野、WR沼、G鈴木などのサイズ的に は恵まれていないが、スピード、テクニックにおいては全国のトップレベルにあ ったと確信している。 最後になりましたが、我々四年生を支えてくれた下級生に 感謝申し上げるとともに、卒業後十五年も経過し、私の記憶も断片的になってい るので、この文中に誤りがあり、ご迷惑をおかけするようなことがありましたら お詫び申し上げます。
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