1982
三部降格の屈辱

横山 靖(昭和58年卒)

この年から、ヘッドコーチが宮田さん(五十五年卒)に代わり、新しい宮田体制 でシーズンをスタートした。しかし、この年のメンバーは、四年生五人、三年生 四人、二年生二人の計十一人であり、しかもこの内四年生一人二年生一人の計二 人は前年度の怪我により、練習に参加できない状態にあった。普通、練習後の体 操は、主将、副将が前に立ち、その前に四列縦隊に並ぶものであるが、何せ練習 に参加する人数が九人では、四列縦隊などは出来ず、円になって行うしかなかった。
 そして、何よりも困ったことは、QBがいないことと、新入生が入ってこなけ れば試合が出来ないことであった。それまでの当部は、QBは二年に一人方針で あり、本来であれば三年生から一人作るはずであったが、適任者がおらず、作っ ていなかった。(昨年、エースRB鈴木を急遽QBにしたて、何プレーかさせた ことはあったが・・・。)しかし、あくまでエースRBであり、QBに変更する わけにはいかない。
 そこで、一年生の時に訳あって退部した三年生の永山に復帰を説得することと なった。ただし、説得に失敗することもありうるので、二年生の一人にQBの練 習をさせていたが、何せ教えるほうもQBの経験が無く、本を読みながらの指導 であった。
 大学の近くのデニーズでの二時間に及ぶ説得の効果があり、永山は復帰するこ ととなり、やっとQBの目処がついた。しかし、それでもまだ十人しかおらず、 試合が出来ない。だいたい新入生は四月の半ばから練習に顔を出し始め、後半か ら参加する。それでは甲南戦、四大戦に間に合わない!
 幸いなことに、この年の新入生の内、高等科出身の三人が春の練習から参加す ることととなり、やっと試合できる目処がついた。目処がついたとはいっても、 新入生にフットボールを教えることが第一で、新チーム作りは後回しであった。 新入生が順調にフットボールを覚えてきたので、次に新チーム作りを始めた。始 めるにあたり、最初に行ったことはオフェンスのフォーメーション変更であった。 従来当部が採用していたランプレー主体のパワーIはメンバー的にきつく、QB 出身の宮田ヘッドコーチが就任したこともあり、新たにプロIを採用することと なった。
 このような状況のなかで、四大戦が始まった。(この年の甲南戦は甲南大学側 の都合により中止)初戦の成城戦は、ディフェンスの踏ん張りにより何とか勝利 をものにした。続く成蹊戦、前半途中でRB鈴木が肘を傷めて、退場したにもか かわらず、オフェンス、ディフェンスの頑張りによる余裕の勝利であった。最終 戦の武蔵戦は、引き分けに終わったものの、武蔵大学と同率ではあるが、久々の 四大戦優勝となった。
 しかし、このチーム状態での四大戦優勝が、秋に悪影響を及ぼすとは誰も考え られなかった。夏の練習は、一年生の強化を主体において行っていたが、春の好 成績に気をよくしていた上級生(四年生)は、自分たちのレベルアップをわすれ ていた。
 その結果、秋のリーグ戦は全くいいところが無く、全敗で、三部降格をかけた 入れ替え戦出場という結果に終わってしまった。三部降格をかけた入れ替え戦は、 創価大との戦いとなった。この創価戦も怪我で二人欠場し、苦しい戦いが予想さ れた。三年生(T,OLB)一人が足首の捻挫、四年生(FB,S)が鎖骨骨折 により欠場、先発メンバーの中にも膝の靭帯を傷めており、両面出場は久々とい う人間もいた。結果は、惨敗に終わり、三部降格となってしまった。
 試合終了後、全員が声も立てず、頬に大粒の涙を伝わらせている姿をいまだに 忘れることができない。